父の人生訓『あいうえお』
2018.06.12
5月31日、私の父は83歳で人生の幕を閉じました。
多くの方からお悔やみの言葉、お優しいメッセージを頂きました。
本当にありがとうございます。嬉しかったです。
父がこの数年間どのように過ごしていたか、少しだけお話したくて書かせて頂きました。
父は2014年3月、自宅ベランダで転倒し脊髄を損傷しました。
当日まで元気に働いていたのに、突然「四肢麻痺」という過酷な現実と向き合うこととなりました。
約1年間の入院生活、その後自宅で1年半過ごし、介護施設で1年半が過ぎた頃に体調を崩し、最期は肺炎で入院してそのまま回復することなく息を引き取りました。
トータルで約4年間、父と私達家族はお互いに励ましあいながら頑張って参りました。
歩くことはもちろん、自力で寝返りを打つことも、顔が痒くても自分で掻くことすらできない状況。
でも父は一度も誰かに当たったりイライラしたりせず、現実を受け入れて日々穏やかに過ごしていました。
体を動かさないと関節が固くなってしまうため、高齢者には大変厳しいリハビリにも耐えました。
楽しみはというと、大好きな歌を歌い、テレビでスポーツを観戦し、私達家族や介護に携わる皆様とおしゃべりをすること。そんな中でも常に相手を気遣い笑顔を絶やしませんでした。
実は私は父について葬儀で初めて知ったことがあります。父の人生訓です。
伯父が告別式で挨拶をしてくれて、若い頃父が「誰にも言わないで」と言って自分で「密か人生訓」と名付けて伯父に話したそうなのです。
『あいうえお』の人生訓
あ:明るく
い:活き活きと
う:美しく(ダンディに)
え:円満に争うことなく
お:思いやりの多い人生を
この言葉は、「あいうえお」と覚えやすいこともあり、伯父が以前校長をしていた小学校でも生徒さんたちに引き継がれているそうです。
葬儀に参列して下さった友人や恩師からも、もう一度聞かせてと尋ねられました。
私も初めて聞いたことでびっくりしたのですが、考えてみるとまさに父の人生そのもの、仕事をしていた時も、怪我をした後も、父はこれを黙って実践していたのですね。
私は思い返すと子供の頃から父に怒られた記憶がありません。
私が介護疲れから不機嫌な顔で口数が少なくなった時も「大丈夫か?苦労をかけてすまないな」と一番辛いのは父自身なのに何度も優しい言葉をかけてくれました。
その度に逆に申し訳ない気持ちになり落ち込んだものです。
父の大きな優しさの中には、本当に強い信念がありました。
今それを改めて感じています。
父がいなくなったことはとても寂しいです。
でもずっと自分で動くことも出来ず不自由だった分、今頃きっと自由に手足を動かし、好きなところに出かけていける事を喜んでいるのではないかなと、そして亡き母や伯父伯母達と再会して、大好きなビールで慰労会でもしているのではないかとも思っています。
だから悲しむのではなく、「お父さんお疲れさま、やっと自由になれたね、良かったね」と言ってあげたい。
そして、私も父の「あいうえお」の教訓を胸にこれからの人生を歩んでいきたい、今はそういう気持ちでいます。
この4年間は私にとって倍ぐらいの長さに感じる年月でした。
多くの経験をし、たくさんの方に助けて頂き、とても濃い時間を父と共に過ごしてきました。
そして人生において大切なことを学ばせて頂きました。
ですから、これからの年月が私にとってのネクストステージだと思っています。
心の中で(介護があるから)という言い訳も通用しない、これからが本当の頑張り時だと思います。
改めてお心を寄せてくださった皆様、本当にありがとうございました。
心より感謝申し上げます。
そしてこれからも頑張って参りますので、どうぞよろしくお願いいたします。